大人げなさ、子どもっぽさ

カウンセリングでは、いろいろなテーマが持ち込まれます。 その中で、自分が「大人げない」とか、「子どもっぽい」という気持ちを語られることがあります。 そして、そういう自分に対して、恥ずかしい、悔しい、いたたまれない、もどかしい、辛い、イライラする、というような気持ちを感じています。 そのような「ネガティブ」な気持ちを感じているのは辛いことで、落ち込み、自分を情けなく思ってしまっています。 Aさんのカウンセリングは、何かにつけてイライラして怒ってしまう自分をどうにかしたいというテーマでした。 怒りは特に家族に対してよく表わされていました。それ以外の人に対しては、何とか自制がきくものの、イライラする気持ちは押さえられず、それを違う形で家族にぶつけてしまうことも多いそうです。 Aさんは、そうやって「大人になれない」自分に対して、さらにイライラを感じていました。 Bさんは、人とうまくコミュニケーションができないことが悩みでした。 「人」といっても、Bさんの場合は、全ての人と、というのではなく、Bさんが苦手なタイプの人と上手くコミュニケーションできないことでした。 それが残念なことに、一番苦手なのが(いつもではないものの)、配偶者だったのです。 また、Bさんは母親に対しても苦手意識がありました。 Bさんが苦手と感じるのは、理路整然とたたみかけるように話して、自分の意見や気持ちを受け止めないタイプの人です。そういう人といると、Bさんはどれほど一生懸命話しても、全否定されているような気持ちになり、感情があふれ、泣いてしまったりしていました。相手の話のペースに巻き込まれ、自分が話したいこととズレていってしまっても、自分の話にもどすことができない、相手の強いペースがとても苦手でした。 配偶者や母親以外、職場などでも、そのような人に対しては、軽い恐怖感もありました。 Bさんは、自分がちゃんと話ができないことが辛く、相手のように、しっかりと話せない自分は「子どもっぽい」からだと思っていました。 私事ですが、まだ若かったころ(笑)、ある活動を一緒にしていた女性が語ったことが今も強く印象に残っています。 その女性は賢く(「頭がいい」ということだけでない「大人」の賢さです)、はっきりと丁寧に話をする人でした。 その頃、まだ若かった私は、自分のふがいなさや至らなさが不満で、自分にがっかりすることがよくありました。 そして、その女性の年の頃(60歳代でした)には、自分も成長して、「大人」になることができるのだろうかと思っていました。 ところがその人は、「この年になっても自分を恥ずかしいと思うことはたくさんある」とおっしゃいました。 その一言は、その時の私には衝撃でした! 年を重ねれば(もちろん努力も必要でしょうが)、落ち着き、自信をもち、悠然となれるように思っていたのです…。 ですが、その一言で、私は、人はいつまでも経験や学びが必要なんだということや、「恥ずかしい」ことは恐れることではないんだなということに気づかされました。 とはいえ、その後もずっと私は、自分のいたらなさに翻弄されているわけですが…(汗)。 「大人であること」は、この社会ではとても重要な態度だと考えられています。 しかし人には、誰にでも「大人」な部分と「子ども」な部分があります。 その「子ども」の部分は、無邪気さや純粋さ、創造力、前に向かうパワーなど、生きる力そのものを持っています。 その「子ども」の部分が全面的に出ると、社会では「やりにくさ」を感じられるかもしれません。それは「子ども」の持つ影のイメージである、無鉄砲さ、偏狭さ、非協調性などが現れるからです。 ですが、明るいイメージも持ち合わせている「子ども」の部分ですから、決して否定されるものではないでしょう。 作家の梨木香歩さんは、こんなふうに書いておられます。

いい年をして、いつまでも何かあるたび恐縮して恥じ入っているのは、情けないような気がすごくするけれど、もうここまで長年「自分」をやっていると、諦めも湧いてきて、開き直って最後までこのままで行くしかない、とも思う。羞恥心、というものが、世の中のあちこちに周到に張られている、「傲慢」の罠に引っかからないための、せめてもの手立ての一つになるような気もして。それともこの開き直りもまた「加齢に伴う」属性の一つなのだろうか。メンタル・タフネスとは「面の皮の厚さ」のことか。いやいやそっちの迷路には入るまい。恥をかくことより、ものが見えなくなることのほうがもっと怖いのだから。(「ぐるりのこと」梨木香歩、新潮文庫)

ここで述べられている「諦め」について、梨木香歩さんが述べておられることがあるのですが、このことについてはまた別のブログで…。 ともかく、「開き直り」とは、自分はこれでいく、という思いではなでしょうか。「これでいい」とまでは言えないけれど、そうは言いたくないけれど、「これでしかない」というような…。 それは、その自分を、100%認めているわけではないけれど、否定しているわけではない…。 AさんやBさんのカウンセリングでは、お二人の心の軌跡があり、そして、上記のような思いに至りました。 それは実は「ありのままの自分」なのです。

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